「愛玩子」と「搾取子」②
こんばんは!毒親サバイバーの渚です。
今回は、前回のつづき
高校生になってから私はある事を思っていた。
(小中校あまり学校へは行けてなかったけど、高校は頑張って行ったら母親の態度もかわるのかな…)
この頃は、まだ「親」というものを信じており、親を喜ばせようと高校ではほぼ皆勤賞、生徒会長にまでなった。
相変わらず母親には長男である弟しか見えていないようだったが、それを見ても私は尚、自分の気のせいだと思い込み見て見ぬ振りして明るく振舞うようにしていた。
(きっと、頑張ってる姿を見れば親も分かってくれるはず…)
しかし、そんなことは幻だったと思い知らされることになる。
高校に入り、普通の女子高生なら化粧をしたり彼氏が出来たりする時期だと思うが、
私も周りに合わせてバイトしたお金等で少しでも色気づくと、必ずと言っていいほど私の見た目や性格の嫌味を言って否定してくる。
後から、それは母からの女としての「嫉妬」から来てるものだとわかった。
その時は、「親が言うことが全て正しい」
そう潜在意識レベルで思っている時期の私には、かなりのダメージだった。
こういう事の積み重ねが、自分には価値がないと思い込む「自己否定感」の元凶になっているのは間違いない。
そして、高校卒業の時期になり学校からも進学するなら推薦で奨学金を使えば進学できるといわれたが、母親は進学の時点で聞く耳を持たなかった。
受験には親の承諾が必要であった為、話そうとしても逃げ回り、話さえ聞こうとしなかった。
母の言い分としては「女に学はいらない」というのだ。
だから、聞いても無駄だから聞かないの一点張り。
今思えば、自分が見下していた娘が進学して、自分より学歴が上になる事を恐れていたのではないかと思う。
私は、自分の中で消化して思い出さない限り腹は立たなくなったが、この件を今でも恨んでいる。
この家で生まれた限り私は生きてる意味がないのだと、
この事が原因で、私は一度死を決意する事になる。
母はというと、私が落胆し、生気をなくし人生で挫折してるのを嬉しそうだった。
悪いなんて気持ちはこれっぽちも持っていなかったと思う。
「お前には不幸になってほしい」そんな思いをヒシヒシと感じた。
愛玩子の弟はというと、私が定時制で4年で卒業で全日制の弟とは同時に卒業となった。
弟の方は、卒業と同時に就職し、親から支度金までもらって家を出て行った。
強制的に母との二人暮らし。
そこで初めて、母の異常性に気づいた私は、文字通り自暴自棄になりかけていたが、
せめて、死ぬ前に好きな場所に行ってから死にたい思うようになり、旅費を稼ぐために探した仕事先で、出会ったのがのちの夫である。
私が家を出れたのは、その夫が転勤で移動になるからついてきほしいと言われたことだった。
今思えば、夫と出会ったタイミングも
(そろそろお金もたまったし辞めようかな…)と思い始めた頃、ちょうど彼が転勤でやってきた。
もし、夫と出会ってなかったら…
私は、間違いなくこの世に居なかったか刑務所にいたかもしれない。
今日も長くなるのでここまで。