毒親サバの渚は今日も生きていく。

毒親と絶縁して三年が経ちました。夫と猫と暮らす30代女のリアルな毒親ブログ。

「愛玩子」と「搾取子」①

こんばんは!毒親サバイバーの渚です。

台風騒動がやっと片付いたので、何を書こうかと思ったのですが、

 

今回は、私の兄弟の話を少ししたいと思います。

 

私には一つ下に弟がいます。母はこの弟を私を故意的に差別してきました。

 

今、自分が大人になり子供がいてもおかしくない年齢になっても、「兄弟差別」迄して育てて何がいいのか全く理解できません。

 

 たまに、働いた先で部下をこういう差別をする上司をみかけますが、それって、ただ「自分の首を絞めてるだけ」にしか見えないというのが本音。

 

大体、そういう人は評判悪いですよね苦笑

 

職場なら、所詮他人なので「残念な人だな。深く関わらんどこ…」で済みますが、家庭ではそうはいきません。

 

法律的に見ても「切っても切れないのが親子の縁」

 

親子の揉め事で遺産相続というのがありますが、もし、相続する権利がないと法的に認められれば遺産をあげないようにできるのに(相続欠格や相続排除)、

 

親が子供を虐待していてもなぜ介護問題からは逃れられないのか…。

 

少し話が脱線してしまいましたが、

 

毒親の話でよく聞くのがこの「兄弟差別」だと思います。

 

私の場合は、母の実家が「長男主義者」いわゆる「長男教」だった為、「性差別」も同時に行われていたことになります。

 

これだけで、私が実家でどれだけ「人権」が無かったのか少しはお分かり頂けるだろうか。

 

そして、これが私の幼少期~思春期まで暗い影を落とすことに…。

 

 

私の暗黒時代。

 

自分に全く自信が持てず、生きる希望もなく、 


親に迷惑かけないように、明るくふるまって無理に笑って、親が望むような子になろうと、子供らしく振舞おうと必死だったのを思い出します。

 

書いてて自分で空しくなってきた笑

 

何故そんなことをする必要があるのか?嫌なものは嫌と言えばいいじゃないかと思う人は、多分健全な家庭で育ってるんだと思います。

 

子供の頃の私にとっては「親に逆らう事=死」

 

 

私は母が18の時の時に生まれ、弟は19の時の子だったような…。

そして、父が病気で26~27歳という若さでなくなり母子家庭となった。(年齢の記憶が曖昧)

 

これだけ見ると、ギャルみたいなママ思い浮かべそうですが、見た目はかなり地味な普通の母親だ。

 

まず、ギャルだろうが、早めに結婚しても真面目にちゃんと愛情もって子育てしてる人もいるので偏見はよくない。

 

そんな事があり、父と死別したことにより母の暴走を止める人は誰もおらず、生活のいたるところまで「長男」である弟を優遇して育てた。

 

弟が悪さをすれば私のせいにし、生活のすべては弟優先。


母は、私には人格を否定するような冷酷な言葉をかけ、弟の事は「優しい子」と自慢する。

 

そんな母親の元で、私の心は次第に壊れていき、小学高学年~中学卒業までまともに学校に行くことができず不登校になった。


不登校になって、引きこもっていた事でいじめられた時期もあり、ますます学校には行けなくなっていた。

 

その頃は母親からの虐待の全盛期で、毎朝学校に行けないとなると孫の手で何度も叩かれ、私の体はあざだらけになっていた。

 

(このままじゃ死んでしまう。誰かに助けを求めたい)

 

そう思った私は、母に「私、おばあちゃん家で暮らす」と言って連れて行ってもらった事がある。

 

その時の嬉しそうな母の顔を見て、私はその場で自宅に帰ることを決意した。

 

(この人は、私を捨てられて喜んでいる)

 

幼心にそうとしか思えなかったからだ。

私なりの反抗だった。

 

相変わらず、私にはあまりお金をかけて貰えなかったので、初めてブラを付けたのも中学三年くらいだったと思う。


その頃、親が通販にはまっていて、初めてのブラはニ〇センのブラ二枚。

 

それを、高校卒業して自分で働いて稼ぐまで使っていた。

 

生理が来た時なんかは毎月憂鬱だった。

ナプキンを親に頼み込まないと買って貰えないからだ。

 

 

そして、兄弟差別が顕著に現れるのは子供の人生の節目になる場面。

大きく分けると…

・進学

・就職

・結婚や出産

 

中には、介護や遺産問題で問題になる人もいるだろう。


私は、この二つについては何がん何でも放棄すると固く心に誓ってるので、あまり考えていない。

 

私の場合は「進学と結婚」で現れた。


仕事については、親は娘なんか必要ないと思っていたのか早く働いて欲しそうだった。

 

そして、高校受験の時期。

 

上で話した通り、母は女である「娘」にお金をかけたくない人だった。

 

私が高校を受験するかどうかさえ興味がない。


むしろ、高校行かないで働いてくれた方が、家にお金入るしラッキー位に思っていたと思う。

 

(このままじゃ、私の人生潰れてしまう…。せめて高卒にはならないと)

 

そして、願書提出期限ギリギリで近くの定時制に出した。

 

なぜ定時制だったのか?

 

答えは簡単「お金が殆どかからない」からだ。



これしか、母を納得させて私が高校に進学する手立てがなかった。

 

ちなみに、弟は翌年普通にお金をかけて受験して進学した。

 

長くなりそうなので続きはまた明日。