毒親サバの渚は今日も生きていく。

毒親と絶縁して三年が経ちました。夫と猫と暮らす30代女のリアルな毒親ブログ。

絶縁のきっかけ

お久しぶりです!ここ一週間ほど忙しくパソコン開く暇さえないという日々を送っていました。

 

今回は、私が毒親である母と絶縁した経緯を話したいと思います。

 

 私の子供時代の話はこちら

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絶縁したきっかけは、この「愛玩子」である弟。

 

私は結婚して地元を遠く離れ、母とはほぼ連絡を取っていませんでした。

友だちも、次々結婚し地元を離れていたので、次第に年末年始友達に会いに地元に帰る事もなくなっていき、弟とも疎遠になりつつありました。

 

 

そんな時、知らない番号から電話が…。弟の職場からでした。

 

どうやら、弟が職場で言動がおかしいという内容で、弟が同棲している彼女だという人からも連絡が来て話を聞いてると、どう考えても今すぐ病院に連れて行った方がいい程の緊迫した内容でした。

 

私は、母とは連絡を取りたくなかったので、困惑したまますぐに3時間離れた弟の会社まで車で向かい話を聞いたりしましたが、精神保健福祉士に聞いても保護者じゃない何もできないという事で結局母と連絡を取る羽目に。

 

弟はというと、電話をかけても逃げ回っていて中々つかまりませんでした。

 

母はお金が無いので弟の所には来れず、仕方なく往復7時間くらいかけて母を弟の住む町まで連れて行っても解決せず、1週間ほどかけて何度も通い、やっと弟を病院へ連れて行きました。

 

この時の母は、愛玩子である弟の嘘やら妄想やらを信じていて「彼女が別れた腹いせに言ってる!」や「あの会社が辞めさせようとしてるんだ!」等、途中からきた叔父と一緒になって陰謀論を唱えて全く動く気が無く、

 

私は、この症状が精神的な病気ならば人に危害を加えかねないと知っていたので、病院に連れて行った方がいい!と言いましたが、それを説明するも全く聞く耳を持たず、私までその陰謀論に巻き込まれて(弟を精神障碍者にして遺産を取ろうとしている!※母に遺産なんかありません)、結局、私が弟を説得し病院へ連れて行きました。

 

因みに、お金がない母のために使った高速代や宿泊費やガソリン代はすべて私の負担です。

 

最後、弟が入院したものの症状が出ずに1週間で退院となった際、再開した時もどうやって帰るのか?と話しかけてもガン無視。

 

お礼が欲しいというより、母の中で「愛玩子の弟を私が入院させた!」というその態度に腹が立ったのと同時にあきれてしまい、

 

そのあまりにも酷い毒親っぷりにきっかけに私が絶縁宣言しました。

 

そこから翌年の年末になり、母とも弟も全く連絡も取らず、唯一、叔母だけに自分が今まで母から虐待されていた事やこれを機に母と絶縁したことを告げ、私も普段の生活を取り戻していた所、母から荷物が届きました。

 

中を見てみたら、どこで買ったかわからない汚いお歳暮の品物らしき物と手紙が入っていました。

 

内容は「迷惑電話、迷惑メール一切お断り!」

 

母は、私が弟を病院に連れて行ったほうがいい!と言った内容の電話やメールを、迷惑だと言い放ち、母と絶縁した日から一切連絡してないにも関わらず、こんな手紙を書いてくる神経がおかしい。

 

あまりにも自分勝手な言い分に、その手紙に「二度と私達に関わるな!」と赤ペンで書き、荷物ごと全部送り返しました。

 

それ以来、母から連絡も来なくなって安心していた中、叔母からの話で、愛玩子の弟が一度退院したものの、その後沢山借金抱えて実家に何の連絡もなく帰ってきて一緒に住んでいた所、何かがきっかけで母に殴りかかり警察に連れていかれ措置入院させられたと聞きました。

 

私というサンドバックが居なくなり、傷を抱えて帰ってきて半ば引きこもりのようになっていた弟を、私と誤って扱い方間違えたんだと思います。

 

弟は、裏では母の事を嫌っていましたが、子供の時から母が弟を溺愛していたのをわかっていて母を操るのがうまく、今回の借金も母が肩代わりして少しずつ払うとなった様でした。

 

正直、私の実家どうなるんだろう…という気持ちはありますが、

もう私にはできることは何もない、関わりたくもないのでこのまま死ぬまで絶縁すると思います。

 

叔母には、葬式も出ないと伝えてあります。

 

絶縁して3年も経つと、そんな最悪な出来事もどんどん風化していって実家の事さえどうでもよくなった今、私は生きてるのが少しずつ楽しめるようになりました。

 

絶縁については色々意見が出るところではあると思いますが、私の場合は絶縁してよかったとはっきり言えます。

 

平和っていいですね。

 

これで、絶縁編は終わりです。

 

愛玩子&搾取子編から少し時間が経ってしまいましたが、ブログは少しずつ書いていくつもりです。

 

最後まで読んでくださりありがとうございました。

 

ではまた。

 

 

 

 

「愛玩子」と「搾取子」③

こんばんは。毒親サバイバーの渚です。

 

今回も、「毒親はなぜ兄弟を差別するのか?「愛玩子」と「搾取子」」の話となります。

 

①はこちら

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②はこちら

 

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さぁ、前回私はめでたく家を出て夫と暮らしいよいよ結婚となります。

 

弟ともほぼ会っていませんでしたが、

正月など地元の友達に会いに帰ったとき、たまに弟に遭遇する事もあり、お互い大人になったのもあって、随分昔より話しやすくなったと思っていました。

 

母とも距離を取ったことにより、やはり連絡などあまりしていませんでしたが、

それでも、「死にたい」→「時間が解決する」迄思えるようになり、

 

結婚すると決まったときも、やはりこんな親でも相談した方がいいだろうと、攻撃されることもなくなったし(物理的に離れててできなかっただけ)

 

「せめて結婚式だけでも親子らしくいたい」と思うようになりました。

 

今思えは、こんな風に考えるのは甘かった思います。

 

結納まではよかったのですが、母が結婚式一週間前に突然…

 

「やっぱ、あんたにお金つかいたくないから結婚式にはいかない」と言い出し、

 

それまでも、式の日程を決めようと相談しても、唯一出席者の中であれこれいちゃもんつけた母の言う通り、最終的にはご祝儀も払わなくていいなら行くといわれ、それでもいいよと言った結果が最後にこれ。

 

 

さすがに、私もキレて「だったらもう来なくていいよ」といって電話を切りました。

 

その頃の私は結婚式の経験が叔母のしかなく、

今思えば、無理に結婚式をしなくてもフォト婚でもよかったかなと思います。

 

 

結局、式当日どうなったかというと…

母は、親戚につれてこられてやって来て仏頂面で帰っていきました。

 

 

その後、たまに会うことがありましたが、私の結婚式の悪口ばかり私に聞かせる親…。

 

よくよく聞いてみると、

大体の内容は「お母さんは結婚式なんてしなかった!指輪さえ貰ってないのに!」

 

そうです。この人は、私への嫉妬から最初から結婚式なんて出るつもりなどなかったのです。

 

 

ではなぜ、毒親は結婚式へ来たのか?

 

 

毒親というのは世間体を物凄く気にするらしく、私が相談した叔母に説得され、「自分の世間体の為」に娘の結婚式へ渋々来たのです。

 

この時点ですでにやばいです。自分の嫉妬から娘の人生壊す気満々です。

 

因みに、母は昔ながらの家での披露宴みたいなことはやっています。その時の写真が残っていたので。

 

母はよく、私に「あんたがお腹に出来たから〇〇出来なかった!」と言って嫌味を言ってきましたが、

 

・指輪がもらえなかったのも、結婚式あげれなかったのも私のせいなの??

 

・私、産んでくれなんてお願いした???

 

・あなた達が、結婚前に避妊もせず考えなしに子供作るような事したから出来たんでしょ?

 

・私が、いつどこで産んでくれなんてお願いしましたか???(大事な事なので二回言いました)

 

・そして、妊娠して父の実家に転がり込んで姑に気に入られなかったのも私のせいなの?

 

・その狭間で、二人の仲をなんとか私が取り持とうとしたしてた事知ってますか???

 

私は、こんな母親が大嫌いだったので絶対でき婚だけはしないと決めていた。

 

こんな風に、自分の子供に嘘でも言いたくなかったから。

 

この時は、さすがに金銭まで搾取されなくはなっていましたが(地元を離れ、物理的に不可能)。

 

いまだに私の心を搾取しようとする母親…。

次第にその悪口は、私だけにとどまらず夫の事までに及ぶようになりました。

 

この頃から、流れに身を任せるのではなく確実に絶縁しようと考えていたと思います。

 

 

こんな人、私の側に置いといてはいけない!

将来、生まれてくる子供のためにも…。(まだ、その予定もありませんが)

 

そうして、全く連絡も取らず穏やかに過ごしていた中、

弟がきっかけで、またこの母親と接点をもつ事になってしまいます。

 

これが、絶縁のきっかけとなる出来事でした。

 

長くなるので今日はこの辺で。

「愛玩子」と「搾取子」②

こんばんは!毒親サバイバーの渚です。

 

 今回は、前回のつづき

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高校生になってから私はある事を思っていた。

 

(小中校あまり学校へは行けてなかったけど、高校は頑張って行ったら母親の態度もかわるのかな…)

 

この頃は、まだ「親」というものを信じており、親を喜ばせようと高校ではほぼ皆勤賞、生徒会長にまでなった。

 

相変わらず母親には長男である弟しか見えていないようだったが、それを見ても私は尚、自分の気のせいだと思い込み見て見ぬ振りして明るく振舞うようにしていた。

 

(きっと、頑張ってる姿を見れば親も分かってくれるはず…)

 

しかし、そんなことは幻だったと思い知らされることになる。

 

高校に入り、普通の女子高生なら化粧をしたり彼氏が出来たりする時期だと思うが、

私も周りに合わせてバイトしたお金等で少しでも色気づくと、必ずと言っていいほど私の見た目や性格の嫌味を言って否定してくる。

 

後から、それは母からの女としての「嫉妬」から来てるものだとわかった。

 

その時は、「親が言うことが全て正しい」

そう潜在意識レベルで思っている時期の私には、かなりのダメージだった。

 

こういう事の積み重ねが、自分には価値がないと思い込む「自己否定感」の元凶になっているのは間違いない。

 

そして、高校卒業の時期になり学校からも進学するなら推薦で奨学金を使えば進学できるといわれたが、母親は進学の時点で聞く耳を持たなかった。

 

受験には親の承諾が必要であった為、話そうとしても逃げ回り、話さえ聞こうとしなかった。

 

母の言い分としては「女に学はいらない」というのだ。

 

だから、聞いても無駄だから聞かないの一点張り。

 

今思えば、自分が見下していた娘が進学して、自分より学歴が上になる事を恐れていたのではないかと思う。

 

私は、自分の中で消化して思い出さない限り腹は立たなくなったが、この件を今でも恨んでいる。

 

この家で生まれた限り私は生きてる意味がないのだと、

 

この事が原因で、私は一度死を決意する事になる。

 

母はというと、私が落胆し、生気をなくし人生で挫折してるのを嬉しそうだった。

悪いなんて気持ちはこれっぽちも持っていなかったと思う。

 

「お前には不幸になってほしい」そんな思いをヒシヒシと感じた。

 

愛玩子の弟はというと、私が定時制で4年で卒業で全日制の弟とは同時に卒業となった。

 

弟の方は、卒業と同時に就職し、親から支度金までもらって家を出て行った。

 

強制的に母との二人暮らし。

 

そこで初めて、母の異常性に気づいた私は、文字通り自暴自棄になりかけていたが、

せめて、死ぬ前に好きな場所に行ってから死にたい思うようになり、旅費を稼ぐために探した仕事先で、出会ったのがのちの夫である。

 

私が家を出れたのは、その夫が転勤で移動になるからついてきほしいと言われたことだった。

 

今思えば、夫と出会ったタイミングも

 

(そろそろお金もたまったし辞めようかな…)と思い始めた頃、ちょうど彼が転勤でやってきた。

 

もし、夫と出会ってなかったら…

私は、間違いなくこの世に居なかったか刑務所にいたかもしれない。

 

 今日も長くなるのでここまで。

「愛玩子」と「搾取子」①

こんばんは!毒親サバイバーの渚です。

台風騒動がやっと片付いたので、何を書こうかと思ったのですが、

 

今回は、私の兄弟の話を少ししたいと思います。

 

私には一つ下に弟がいます。母はこの弟を私を故意的に差別してきました。

 

今、自分が大人になり子供がいてもおかしくない年齢になっても、「兄弟差別」迄して育てて何がいいのか全く理解できません。

 

 たまに、働いた先で部下をこういう差別をする上司をみかけますが、それって、ただ「自分の首を絞めてるだけ」にしか見えないというのが本音。

 

大体、そういう人は評判悪いですよね苦笑

 

職場なら、所詮他人なので「残念な人だな。深く関わらんどこ…」で済みますが、家庭ではそうはいきません。

 

法律的に見ても「切っても切れないのが親子の縁」

 

親子の揉め事で遺産相続というのがありますが、もし、相続する権利がないと法的に認められれば遺産をあげないようにできるのに(相続欠格や相続排除)、

 

親が子供を虐待していてもなぜ介護問題からは逃れられないのか…。

 

少し話が脱線してしまいましたが、

 

毒親の話でよく聞くのがこの「兄弟差別」だと思います。

 

私の場合は、母の実家が「長男主義者」いわゆる「長男教」だった為、「性差別」も同時に行われていたことになります。

 

これだけで、私が実家でどれだけ「人権」が無かったのか少しはお分かり頂けるだろうか。

 

そして、これが私の幼少期~思春期まで暗い影を落とすことに…。

 

 

私の暗黒時代。

 

自分に全く自信が持てず、生きる希望もなく、 


親に迷惑かけないように、明るくふるまって無理に笑って、親が望むような子になろうと、子供らしく振舞おうと必死だったのを思い出します。

 

書いてて自分で空しくなってきた笑

 

何故そんなことをする必要があるのか?嫌なものは嫌と言えばいいじゃないかと思う人は、多分健全な家庭で育ってるんだと思います。

 

子供の頃の私にとっては「親に逆らう事=死」

 

 

私は母が18の時の時に生まれ、弟は19の時の子だったような…。

そして、父が病気で26~27歳という若さでなくなり母子家庭となった。(年齢の記憶が曖昧)

 

これだけ見ると、ギャルみたいなママ思い浮かべそうですが、見た目はかなり地味な普通の母親だ。

 

まず、ギャルだろうが、早めに結婚しても真面目にちゃんと愛情もって子育てしてる人もいるので偏見はよくない。

 

そんな事があり、父と死別したことにより母の暴走を止める人は誰もおらず、生活のいたるところまで「長男」である弟を優遇して育てた。

 

弟が悪さをすれば私のせいにし、生活のすべては弟優先。


母は、私には人格を否定するような冷酷な言葉をかけ、弟の事は「優しい子」と自慢する。

 

そんな母親の元で、私の心は次第に壊れていき、小学高学年~中学卒業までまともに学校に行くことができず不登校になった。


不登校になって、引きこもっていた事でいじめられた時期もあり、ますます学校には行けなくなっていた。

 

その頃は母親からの虐待の全盛期で、毎朝学校に行けないとなると孫の手で何度も叩かれ、私の体はあざだらけになっていた。

 

(このままじゃ死んでしまう。誰かに助けを求めたい)

 

そう思った私は、母に「私、おばあちゃん家で暮らす」と言って連れて行ってもらった事がある。

 

その時の嬉しそうな母の顔を見て、私はその場で自宅に帰ることを決意した。

 

(この人は、私を捨てられて喜んでいる)

 

幼心にそうとしか思えなかったからだ。

私なりの反抗だった。

 

相変わらず、私にはあまりお金をかけて貰えなかったので、初めてブラを付けたのも中学三年くらいだったと思う。


その頃、親が通販にはまっていて、初めてのブラはニ〇センのブラ二枚。

 

それを、高校卒業して自分で働いて稼ぐまで使っていた。

 

生理が来た時なんかは毎月憂鬱だった。

ナプキンを親に頼み込まないと買って貰えないからだ。

 

 

そして、兄弟差別が顕著に現れるのは子供の人生の節目になる場面。

大きく分けると…

・進学

・就職

・結婚や出産

 

中には、介護や遺産問題で問題になる人もいるだろう。


私は、この二つについては何がん何でも放棄すると固く心に誓ってるので、あまり考えていない。

 

私の場合は「進学と結婚」で現れた。


仕事については、親は娘なんか必要ないと思っていたのか早く働いて欲しそうだった。

 

そして、高校受験の時期。

 

上で話した通り、母は女である「娘」にお金をかけたくない人だった。

 

私が高校を受験するかどうかさえ興味がない。


むしろ、高校行かないで働いてくれた方が、家にお金入るしラッキー位に思っていたと思う。

 

(このままじゃ、私の人生潰れてしまう…。せめて高卒にはならないと)

 

そして、願書提出期限ギリギリで近くの定時制に出した。

 

なぜ定時制だったのか?

 

答えは簡単「お金が殆どかからない」からだ。



これしか、母を納得させて私が高校に進学する手立てがなかった。

 

ちなみに、弟は翌年普通にお金をかけて受験して進学した。

 

長くなりそうなので続きはまた明日。

 

 

毒親は自分の事しか愛していない

こんばんは。毒親サバイバーの渚です。

 

台風9号が近づいていて、我が家はプチパニック。

 

その後、すぐ来る10号の方がもっと怖い。

家耐えれるかな…?苦笑((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

 

くれぐれも、近くの海や田んぼを見に行ったりしないように!

 

 

さて今回は、毒親目線の話をしたいと思います。

 

私は、自分を解毒するために毒親について色々調べてきましたが、

毒親の毒のパターンは色々あっても、結局根っこは同じかと思います。

 

毒親は全て自分中心」

 

毒親と、普通に話そうとしても話が通じないのはこのせいです。

話し合おうする事がどれだけ無駄な事なのか、毒親に悩んでる方々ならよくわかる事かと思います。

 

毒親の話になると、世間でよく言われるのが「完璧な親なんていないのよ」という言葉ですが、

 

その通り!完璧な人などいませんよね。親もしかり。

 

どんなに素晴らしい人でも苦手な事一つや二つあるでしょうし、

失敗しない人間なんてこの世に居ないはずですよね。

 

しかし、毒親はというと…

「親は子より優れている。自分は親だからだ。親は完璧なのだ」と、本気で思ってると思います。

 

毒親の頭の中を簡単に表すと

・正義→親

・悪→子供

 

この二つは絶対なので、子供に対して「残酷な言葉や体罰」は毒親にとって正義であり、「子供にとっても良いことをやってる」とさえ思っている。

 

子供の人格など眼中になく、

「親自身がどう感じるか?」でしか物事を判断していないのだと思います。

 

私の場合を例に出してみますが、

私には弟がいますが、私は「搾取子」で弟は「愛玩子」でした。

 

母は私に、よく「〇〇(弟)が結婚したら、家を買って貰ってそこで一緒に暮らすんだ~」と言ってました。

 

その為、長男教の母にとって将来面倒を見てくれそうな弟は「正義」であり、

女で家を出るしか能がない娘は、どうやっても「悪」なのです。

 

この考えは、余程なことが無い限り変わらないでしょう。

 

もしも、その考えが変わるとすればその愛玩子の「当てが外れた」時。

 

この時、採取子に頼ろうと毒親が色んな手を使って近づいてくると思いますが、私なら逃げます。

 

親が心入れ替えたと一瞬思いますが、それは仮面を被った姿で、

慣れてくれば毒を吐いて支配しようとしてくるのがオチでしょう。

 

「人間は、大人になってからの性格はそうそう変えられない」

 

だから、私のように毒親に育てられた毒親サバイバーは、

大人になった今でも、毒によって植え付けられた間違った認識を変えたいと苦しんでいる。

 

「自分を大切にすること」

 

これを忘れないようにしょう。

 

 

 

毒親は許せなくてもいい。手放すだけでいい

どうもこんばんは。毒親サバイバーの渚です。

 

今日から9月ですか。早いなぁ笑

 

さて、今回は毒親サバイバーの方なら一度はネット等で見たことがあるだろう「毒親を許そう」という言葉。

 

私も、絶縁して暫くまでの間は、

 

(親を許さないと、この憎しみや辛さは消えないんだ。頑張って許せるようにならないと…)と思っていました。

 

でも、なかなか親からやられたことを許せる訳もなく、それが自分を余計に責めることになり確実に悪循環になっていた。

 

色々悩んだ結果、私なりの結論だが…

 

毒親は許さなくていい!許せなくて当たり前!」

 

むしろ、許す必要ありますか???

 

それを、いじめで苦しんでる子供やパワハラで鬱になるまで追い詰められた人に同じこと言えますか?

 

子供が親に、上司や部下に、または夫や妻が自分のパートナーに暴力を振るえば大問題になるのに、

 

なぜ親が子供にした場合は許されるのか???

子供が、親からの虐待で亡くなってるのに親への刑罰はなぜこんなに軽いのか?

 

この差は一体何なのか…。

 

日本では「子は宝」なんて言葉がありますが、

その一方で、なぜ子供の命はこんなにも軽く扱われているのか不思議でなりません。

 

現在、子供の虐待には「虐待防止法」で

「1年以内の懲役または100万円以下の罰金」が科される。

 

虐待死には、「保護責任者遺棄致死罪」が適用されても、懲役3年以上20年以下でそれ以外の罰則はないという。

 

(間違ってたらあれなので、気になる人はご自分で調べてみてください)

 

これじゃ、虐待で亡くなった子供たちが報われない。あまりにも軽すぎやしないか?

 

「子供の命が大人より軽い」なんて事があっていいのだろうか。

私は、もっと厳罰化するべきだと考える。

 

こういう話になると、必ずと言っていいほど「昔は体罰があたりまえだった」という意見がある。

 

人がどう思おうと勝手だと思うが、「体罰」というのもピンキリだろうし、別に否定するつもりもない。ただ、なにより「体罰による子供への悪影響」を知ったうえで、ほんとに子供を大切に思っているのならば、そんな悠長なことが言えるのかは疑問に思う。

 

子供の時に受けたは虐待は、生き延びて大人になってもぬぐい切れない大きな傷となって残り続けるのは事実。

 

だから許せなくていい!許せなくて当たり前。

 

 

でもこれ以上、過去の辛い記憶を思い出して自分を傷つけるのはもうやめませんか?

 

過去に起こったことは変えられない。

また、親やを含め人を変えることも無理なものです。

 

許すというより「こんな辛い事があった」という事実は自分で認めてあげて、

その事はどぶにでも捨てておきましょう。

 

これでも、何かがきっかけで思い出して辛い気持ちになったりするが、

思い出さない間は楽しく過ごせるはず。

 

これがとても大事だと私は思う。

 

大事なことは「自分を大切にすること」

 

許せないものは許さなくていい。

人間関係なんてほとんど自分だけじゃどうにもできない事ばかり。

 

どうしようもない事は、手放すだけできっと心が軽くなるはず。

 

それでいいのだ~!